『都市伝説解体センター』のクリア後感想&考察です。
配信規約に従い1~5話辺りまでの画像とかを使いつつ、作品全体についての感想や振り返りをしていきます。考察はキャラ描写とか関係性ではなく物語のテーマやゲーム体験の側面を掘り下げる内容になります。
一応核心部分や各話の謎について明らかなネタバレをすることはない(途中の場面画像を使ったり、展開についても濁しつつ触れるくらい)ので、多分クリアしていない人が読んでも影響はない内容になっているのではないかと思います。ただ非常に長くなると思うので、お時間ある時に読んでいただけると嬉しいです。
■お品書き

■遊び終えての感想
全体を通しての考察に入る前に、先にゲーム作品としての感想をあれこれ。
1週間ちょっと前に本作を遊び始め、1話が終わった時点でまず上の記事を書いたわけなんですが、その末尾でこんなことを言っていました自分。
続きも早くやりたいけど、他に並行しているゲームの続きもやりたいので、それこそ週刊漫画や連続ドラマを楽しむ感覚で1週間に1話ずつ時間をもうけて遊ぼうかなあ、などと今は考えたり。

結論:我慢できませんでした。
各話とも推理難易度は易しめでテキストを一通り読み進めても2時間程度で終えられるボリュームだったのもあり、一日置きくらいの間隔であっという間に遊び終えてしまいました。それこそ連作小説を一編ずつ読み進めているような感じで楽しめましたね。
出てきた情報をしっかり押さえて理解することを促す作りという印象だったので、歯応えのある謎解きや予想もつかないような仕掛け・トリックが盛り込まれている、という感じよりかは、お話に没入させるための謎掛け程度に収まるように意識されているのかなと感じました。この手のゲームを初めて遊ぶ人向けの導入・手引き的な位置づけと考えれば丁度いい難易度になっていたのかなと感じます。

実際各話ともまずは情報集めと人物整理、その後事件のポイントをおさらいする形で仮説を立てたり問いが発生する、という流れは一緒でした。手帳画面に主人公のあざみーがしっかり情報をまとめてくれていたので振り返るのも楽でしたし、問い自体も流れを理解できていれば悩まずに分かる難易度でした。選択肢を間違っても別にペナルティはないので途中からは間違った時の差分が気になってあえて不正解を選ぶことも多かったです。
都市伝説解体センターは、普段ゲームを遊ばない人やゲームに疲れてしまった人でもエンディングまで遊んでもらえるよう作ったゲームなので、そこを読み取ってもらってちゃんと発信いただけるのは本当に嬉しい!
— ハフハフ・おでーん/關東煮 (@ohanhan) March 4, 2025
ただゲームに不慣れな人でも進められるような作りになっている一方で、SNS調査は多少ジャンルに対しての慣れが必要かも、という印象は受けました。各投稿に対する反応テキストにも繋がりがあり、全部上から読んでいくとスムーズな流れになっている+証拠発見にも繋がるという作りに気付けず、怪しそうなところを飛び飛びでチェックしたけど次は何すれば良いんだ?となっているプレイヤーもちらほら目にしましたし。
ADVって調べられるところを総当たりすることで次の道が開くことが多いイメージなのですが、SNSという形式をとっているために流し見を誘発してしまう部分もあった気がします。実際重要なポイントだけチェックする形でもフラグが立つ場面も多いので、読まれていない反応テキストなんかは多いのかも。
私も昔はRPGでNPCの話なんか聞かずにどんどんフラグが立ちそうなところを進めようとするプレイヤーだったので、このジャンルでもそういう人はいるわなあという感じ。

解答がきちんと出せるように作品全体が誘導してくれることもあり、頭を使ってうまく解けた時の爽快感を味わう、といった部分を求めるタイプの人には物足りないと感じるのかも。ただ物語の読解自体が楽しいという私みたいなタイプには非常に面白い作品でした。細かな理由は考察の方で後述します。
そこにオカルトや「よくないインターネット」描写がいい味付けになってましたね。
寝れない夜に「洒落怖」を嗜んでいたせいか事件で扱われる都市伝説だけでなく、ちらっとワードだけ登場する都市伝説にも懐かしさを覚えてしまいました。しまいにはSNS調査で本筋と関係ない都市伝説のTIPSが見つからないか、ついついネットの闇を覗き込もうとしてしまうこともしばしば……。
有名な都市伝説がバーンと登場した時なんかは思わずキター!!と反応してしまったりしました。これ昔見たことあるやつだ!という懐かしさをまさかこの手のゲーム内で味わうことになるとは。


どうして都市伝説なのか、とか、どうしてこういうゲーム性だったのか、とかの辺りはこの後の考察で色々と考えていきたいのでここでは詳しくは触れないのですが、作品全体の空気づくりのおかげか「都市伝説」を扱い「念視」のような能力描写が登場していても変に突飛な印象は受けずに遊ぶことができた気がします。
もちろん陰謀論だとか過激なネット民の暴走だとか、描かれている内容は尖っているところもあります。ただ昨今の世の中を思えばありえない内容ということもない、というのが事実は小説よりも奇なり、といったところでしょうか。
もしかしたら現実に起きていることなのかも、というざわざわ感を味わったり、ネットミームの応酬を楽しむ程度であれば問題ないけど、行き過ぎると陰謀論者やよくないインターネット民になってしまうという、嫌な意味での現実感がありました。

現代社会を舞台にしたフィクション作品はいかに奇抜な題材を扱っていても現実と地続きであることからは逃れられません。そこでリアリティラインを誤ると興冷めとなってしまうこともありうるわけですが、本作における「都市伝説」は現実との境目をほどよく曖昧にするフィクションとしての効果と、その根源は普通の現実から発生しているのだという事実を表現するためのファクターとしても使われていた気がします。
各話での事件はその内容の不可思議さから怪異との関連性を見出すところから始まり、最終的にはそこに存在する現実の痕跡をたどることで真相を明らかにするという流れをとっていました。とある人物の手によってある結末へと導かれていた本作の物語において、繰り返し現れる「特定」と「解体」という試みが福来あざみやプレイヤー、そしてそれらを取り巻く現代社会に何を投げかけていたのか。

ゲームを終えてその意味を今一度じっくり考えてみた時、作品に流れているテーマと語り方の関係に私は強い魅力を感じました。それがどこまで意図されたものであったのかは分かりませんが、作中の例に倣って私も改めて本作の「解体」を行いたいと思います。
さて、ここからはあれこれ自分の考えをまとめる考察パートです。
私なりにこの作品を「解体」した内容を話すことになるので、できれば作品を先にプレイしていただき、自身の考えが固まってから読んでほしいです。あくまでもこの記事は「私がそう思いたい」と思っているだけの内容ですので。
■『噂話』と『都市伝説』
まず初めにこの作品のテーマを考え直してみたい。
そこはシンプルに「都市伝説」ではないのか?と初めは考えていたのですが、正確に捉えるには「噂話」が「都市伝説」へ姿を変えていく過程をもう一度振り返ってみる必要がありそうです。
本作のオープニング映像の中で、都市伝説については以下のように語られています。
都市伝説とは、現代社会において口承で広がる噂話のことである。
心霊 未確認生物 宇宙人 超常現象 未解決事件 陰謀論…
ほとんどは 伝わる過程で尾ひれがついた根拠のない噂話。
根っこを辿ると人畜無害な世間話にたどり着く。


現実における何らかの出来事が、人伝に広がっていく内に次第に姿を変え、いつしか怪異であったり世界の真実のような荒唐無稽な話にまで発展していく。人々の関心を惹くように語り直されていく内に、あやふやだった噂話にありもしないディティールが増えていき、ある程度の強度を持つまでに至った物語が「伝説」として後世にまで語り継がれる。都市伝説とはそうした流れで生まれる噂話である、とのことです。
ここで押さえておきたいのが「実在するかはどうあれその根源には必ず噂の出処となる何らかの出来事がある」という部分、そして「それを語り継いで広めようとする人々が必要となる」という部分だと思います。
これによく似た形で発生してきたものとして、日本では「妖怪」や「神様」なんかが思い当たるのではないでしょうか。
いずれも現実に存在するものではありませんが、その時代、その瞬間には理解しえない出来事(主に自然現象や自然生物とか)は霊的な存在によって起こされている、と考えることで様々な物事に「妖怪」や「神様」の存在が見出されてきました。あらゆる物事には霊魂が宿るというアニミズム的な思想から数多の架空存在が生まれ、民話として語り継がれることで人々の間に広まり、やがて伝説のようになったものも多いかと思います(なんなら「都市伝説」のいくつかは、一昔前なら「怪談」として親しまれるジャンルの中に収まっていたような)。
なぜ昔から人々はそうした出来事に新たな形を与えて語り継いできたのでしょうか。
それは様々な出来事や経験を他の人々にも物語り、共有したいという意識があったからだと考えられます。自然の恐ろしさを神や妖怪の仕業と見立てて伝え残そうとしたり、ふとした些細な出来事を目に見えない存在によるいたずらのように例えて面白がったり、そのままでは語ることのできない物事に名前や形を与えて物語ることのできるものに変える、というのは、目的は多々あれど昔から行われてきた営みだったわけです。


となると噂話から都市伝説が生まれる過程、広まっていく過程も同じような流れを辿ってきていると考えられます。
些細な物事や理解しがたい経験に名付け、意味付けを行って語ることのできる共有可能な物語に変えていく試み。
そこには「そうであって欲しい」「そうじゃないと理解できない」という恐れのような意識があったかもしれないですし、自身の経験を広く共有したいという思いから曖昧な噂話に「こうだったのかもしれない」とある種の指向性や、おかしな輪郭を与えることもあったかもしれません。時には「広めること」や「共有すること」そのものが目的であるために、事実とは無関係な情報を付加したり、無意味な符丁を用いたやり取りを行うことで共通の物語を形成していくわけです。
本作においてはやけにリアルなSNS描写が行われていましたが、そのモデルとなったSNSはこうした物事や経験が非常に伝播しやすい仕組みを持っています。
同じような関心を持つ者同士を結びつけることで、曖昧な噂話は容易に1つの物語に姿を変えて語られるようになっていく。さらにはそのコミュニティでのみ通じるミームだったものが外部へと漏れ出し、出自がなんであったかはもはや誰も気にしない状態のまま広まってしまう、なんてことは近頃のムーブメントを見ているとよくあるどころの話ではありません。

作中においてあざみが取り組んできた事件の引き金になったのは、どれもそうしたSNSを利用する当事者達と匿名の一般大衆でした。良心的なユーザーの描写も見受けられる一方で、SNS調査中に最も目にすることになるのは注目が集まっている(バズっている)投稿と、それに対して脊髄反射的に投げつけられた反応になります。
注目が集まっているが故に、その発端に何があったかよりもそのムーブメントに関わろうとする、乗っかろうとする者たちの姿しか見えなくなっていく。これにより「噂話」はついには「都市伝説」という強度を持った物語として語られるように変わっていくのです。そして人々は最後に残った物語の記憶だけを残し、元にあったはずの出来事の存在を忘れていってしまうのではないでしょうか。

オープニング映像では、先ほど引用した文章の後に上記の言葉が続きます。
私はこの問いかけこそが作中で何遍も「都市伝説」と相対することになるプレイヤーに対して『都市伝説解体センター』という作品が提示しているテーマだと考えています。
それは事件を解決するべく「都市伝説」の正体を見極めようとする問いかけ、という意味合いだけではなく、人々の記憶に残った「噂話」の背景にある出来事にもう一度気付かせようとする訴えのようにも感じたのです。
■『仮説』と『検証』
では次にそんな「都市伝説」を解体するべく何が行われるのか。
作中ではSNSにおいて匿名の人々が口々に語る「噂話」を目にすることになります。断片的に伝え聞いた情報を基に様々な憶測が飛び交い、それらがたまたま符合してしまったところに「都市伝説」が顔を覗かせてくるわけですが、それらの情報から無駄なものを削ぎ落とし、実際に確認できた事実を基にあざみは「仮説」を立てていきます。

いわゆる謎解きADVのシステムとして「仮説を立て、検証する」というアクションが登場するわけですが、そこで行われることで特に重要なのが「事実と想像を切り離して考える」という部分だと考えます。
こうであろうという予想やこのように言われているというだけの不確かな噂は一旦考慮せず、目の前で確認できている事実だけを組み合わせていく。たとえゲーム的演出であざみが知り得ない情景をプレイヤーが見ていたとしても、その瞬間だけはあざみの手元にある情報を積み上げて仮説を立ててやらなくてはなりません。
逆に言えばプレイヤーだけが見ている情報というのは、その時点では真相を明らかにする上で役に立たない不確かなものなのです。プレイヤーがどんなに怪しげな可能性に気付くことができていたとしても、あざみ達が得た情報から仮説を立て、検証を通して事実を確かめない限りそれが真実であると証明したことにはならない、ということが作中では繰り返し描かれてきました。
それではなぜ本作では度々あざみ達が目にすることができないはずのシーンや、実際に起きていたのかが曖昧にされたシーンが描かれるのか。
作劇上の演出としては別におかしなことではないため、あえてそこを気にしながら遊ぶ必要はないだろうと思いますが、事件の途中や最後に意味ありげな描写(主に怪異が実際に現れてしまうような形の)をする意味というのは、オカルトミステリー的な雰囲気づくりの一環としてだけだったのでしょうか。


小説などで使われる手法として「信頼できない語り手」というものがあります。
文章や映像で描写されている様子、出来事が実際にどこまで本当に起きているものなのか、通常はわざわざ説明を行うことをしないために、基本的に語られていることは正しいという「先入観」を持って我々はフィクションを楽しみます。
この手法はそうした先入観の存在を何らかの形で明らかにすることで、それまでその事実に自覚的でなかったのだと気付かせ、その衝撃を演出として利用した表現となっているわけですが、それは同時に我々が常に先入観を持って物事を見ているのだということの表現とも言えます。
現代社会においても様々な情報に触れる中で、我々は一定の先入観を持ってそれらを捉えます。過去の経験であったり、何かの媒体から得た知識であったりを基に先入観を持つことで、情報の精査・判断に掛かる時間や負荷を軽減することができる。そして時折先入観(固定観念と言い換えても良い)をアップデートすることで、新しい視点から物事を見ることができるようになっていくわけです。
しかし現代社会にはそんな「先入観」を皆が持っているのだという前提を忘れてしまっているのではないか、と危惧してしまうような様子をSNSのあちこちで目にすることができます。作中でもそんな現実を如実に現してやろういう意思がヒシヒシと感じられましたし、それを正そうものなら勝手な理屈・憶測でもって自分達の中に形成された悪者像を攻撃することで満足する大衆、という描写も本作では重点的に描かれています。

そんな混沌としたSNSの中からでも情報を集め、現場調査で得られた事実を元に我々プレイヤーはあざみと一緒に何度も仮説を立て、検証を行っていきます。
「仮説」と「検証」は「都市伝説の解体」を行うためのシステムとしてありながら、同時に「真実」に近づくためには曖昧な情報や不確かな想像による飛躍ではなく、確認できている確かな事実を1つ1つ積み上げてこそ明らかにすることができる、ということをプレイヤーとあざみに実践、経験させる仕組みになっていました。
そして物語の終盤。これまで幾度となく「仮説」を積み上げてきたあざみは、目の前に提示された『真実』にすら疑問を抱いてある選択をしました。その瞬間はプレイした中でも特に強く印象に残っています。
物語的なクライマックスの演出としてだけではなく、物語の初めには頼りなさげな印象だったあざみが、あと一歩、踏み込まなくてはならないという答えを示すに至った。それは一緒に歩んできたプレイヤー、そして物語を導いてきたあの人の目にはどのように映ったでしょうか。
物語の核心にも迫る話となってしまうため深くは語れませんが、私はこの物語から「真実は事実の積み重ねによりたどり着くことができる」ことと、「想像が事実を超えることもあり得る」ということを同時に感じました(あるいはそれすらも想定された物語だったのかも)。

それはつまり「想像力」や「先入観」そのものが悪いものなのではない、ということではないかと考えるのです。そもそも「仮説」を立てる行為そのものが情報に裏付けされた意味ある「想像」なわけですから。
危惧すべきなのは想像力が欠如してしまうことや先入観の存在を忘却してしまうこと。それを天眼錠という「真実を見抜く目を開くための鍵」を開けることにより我々に気付かせ、自覚させようとする試みが本作における仮説と検証の仕組みだったのではないかと。加えて事件の顛末においては、その先にある可能性にあざみがたどり着いてしまうことをこそ期待していたのでは、とも考えてしまう。
この「解体の物語」はどこまでが計算されて積み上げられたものなのでしょうか。我々がそれを見極めるにはやはりその物語を各々の手で解体してみるしかないのかもしれません。やり方はプレイしていれば自ずと分かるようになっているはずです。
■『解体の物語』は『伝播』する
さて、作品がそのゲームシステムによりプレイヤーへ体験させてきたことと、それにより伝えようとしたのではないかと思われるメッセージについて触れてきました。
最後にその締めとして、この「解体の物語」がどのようなものとして私の前に登場したのかを振り返ってみたいと思います。
「解体はじめました」の冒頭で触れた通り、私がこの作品に興味を持ったきっかけはSNSの投稿でした。ネタバレをしないように曖昧にした表現と、それでも興味を惹くようにフックとなる画像やキーワードで装飾された情報に触れ、私もまんまとこの作品を遊んでみたいと思ってしまいました。
そこには都市伝説や怪談が発生してきた過程での意識と同じようなものが介在していたように感じます。
それは誰かに自分が得た表現しがたい体験を共有したいという欲求。
他の誰かにも経験してほしい、けれどもその経験の質を損ねたくない、そんな気持ちから詳細を曖昧にした感想やプレイした人にしかわからないキーワードによりロックされた感想の投稿が相次ぎ、SNS上には多くの情報が伏せられたままの「噂話」のようなものが溢れています。

そのいずれもが本作の物語から受けた衝撃をなんとかして伝播させようというムーブメントを生み出すうねりとなっている。その様子に思わず興味をそそられ、実際に物語を体験しようものならいつの間にか自身もその作品を広めようとする人々の一部となってしまっている。
『都市伝説解体センター』という作品がまさに「都市伝説」的な魅力をまといながら登場した背景にはそうしてやろうという意図、演出があったのだろうかという気がしないでもないのですが、少なくともそれのおかげで私もこの解体センターを訪ねてしまったわけで。なんだかそう考えるとどこまでが計算の中で導かれたものなのか、少し恐ろしくもあり、作品世界が侵食してきたようで少し楽しくもあります。
もしかしたらこの作品体験によって世の人々の目も少しだけ啓かれたかもしれません。
見たいものだけを見て、思いたいように思っているだけであることに無自覚な世界を解体してやりたいという欲求も、少しは満たされたのではないか、と思いたい。
もしそれが足りないということであれば、また新たに『都市伝説解体センター』の噂が世の中に流れる日がやってくるのかもしれません。

■おわりに
これにて本作についての私なりの「解体」はおしまいです。
自身がこの作品からどのようなテーマやメッセージを感じ取ったか、という部分を整理してまとめ直した形となりますが、人によって受け取り方が異なることは重々承知。なんならネタバレ控えめにするために重要なポイントはぼかしたり触れずにおくことにしたので、表現が曖昧で分かりづらい部分も多かったかもしれません。
ただこれもまた一つの解である、として記憶の片隅にでも置いておいてもらえると幸いです。
本当は作品全体の構成だけでなくキャラの関係性や、描写・演出の細かいあれこれについて掘り下げて楽しむことも考えたのですが、それをやるには紙幅が足りない、というか同じ記事にうまいことまとめようがないので今回はやめておきました。
語りたいことがたくさん出てくる作品は良い作品です。きっと色んな人が「あれってどういうことだったんだろう」と思いを発信し続けることでしょうから、私も同じように考えを巡らせつつ、他の人の感想を楽しみたいと思います。
そういえば何やらポップアップショップもあるらしい。
トシカイくんハンドタオルとかアクリルジオラマほしいから行ってみようかな。
【お知らせ】
— 墓場文庫🪦都市伝説解体センター👁和階堂真の事件簿 (@hakababunko) March 13, 2025
1. 都市伝説解体センター POP UP SHOP開催決定✨
アキバファンキューブにて4/4(金)~5/6(火)限定開催🪬
通販もあるよ!https://t.co/EiSMTpvgIx
2. 主題歌「奇々解体」MV プレミアム公開
YouTubeにて14日(金)20時より公開📺
クリア後視聴推奨です!https://t.co/bSOj81tbcF pic.twitter.com/lb8emau7FM
あと今回色々考えをまとめるにあたって、以前大神とかを遊んだ際に読んでいた本を下に紹介しておきます。特に妖怪文化入門を読むと都市伝説とか怪談を味わう上で知っておくと面白い妖怪文化の起こりとか受容のされ方の下地をさらっと知ることができるのでオススメ。都市伝説関連本とかもその内ちゃんと読んでみたいなあ。。。

