■グノーシアを遊ぶ
以前から名前は知っていたけど遊べずにいたタイトルの1つ、グノーシアを始めました。
ハードはswitch版。他にも色んな機種で遊べて、よくセール対象になってますね。


1プレイがかなり短めに遊べる人狼系のゲーム、という話だけは聞いていたので、他のゲームの合間にも遊びやすいのでは?と考え、少し前に買ったまま置いていたこのタイトルをようやく起動するに至った形です。
グノーシア、今年の10月頃にアニメが放送されるということもあり、それまでにはやっておきたいな、と思いつつも「人狼系」という部分にちょっとした苦手意識があったので中々始められなかったんですよね。
そのあたりグノーシア自体とはあまり関係ないので続きの方に後述するのですが、ゲーム本編については普通に楽しめており一安心。いわゆる普通のRPGとかADVとはジャンルが異なるタイトルなので、合わなかったらどうしようか、というのも杞憂で終わりました。
今のところ1プレイは大体10分程度で終わっています。普通の人狼と同じく、議論と投票を繰り返して全ての人狼(グノーシア)を追放できれば村人の勝ち、というルールで進行していくのですが、細かなルールは何回も遊んでいく内に解禁されていくようなので人狼自体に不慣れでも遊びやすいのがありがたいですね。

その内全要素が解禁された状態になったらプレイ時間ももう少し伸びるのだろうか、とは思うのですが、どちらかというとそれはストーリー面の推理や考察で時間が取られるだけで、人狼パートについては変わらず10分前後で終われそうな雰囲気なのも、複数タイトルを並行で遊んでいる身の自分としてはかなりありがたいところです。
またストーリーのジャンルがSFループもので推理ものでもある、というところがかなり自分にはツボな予感がしています。まだ5ループ程度しかできていないので、グノーシアという存在についてはほぼ何も分かっていない状態ですし、新たな登場人物はバンバン出てくるし、行動範囲も広がっていくばかりだしで「楽しいけどまだ何もわからん」状態。
とりあえず気になってるのは以下の点。この手のジャンルやシステムならまずは気にするよね、っていうポイントなのでもうしばらくプレイをしていく内に明らかになるでしょう、多分。
- 明確に「ループ」と描写されるけど「主人公」ってなんなんだ
そもそも人なのか?(今のところ主観視点オンリーなので気になる)
プレイヤーが情報を把握したまま次のループに行けるという点ではメタ的なループにもあたるけど、実際に主人公の意識も移動してそう(発言内容的に)。
1ゲームの開始と終了がループの起点終点になってるのも意味がある? - 人狼役として存在している「グノーシア」ってなんなんだ
船員を消滅させてるらしいけど意図がまだ不明。
いわゆる「夜」の時間にだけ手を下せる、というのも人狼ゲームとしては普通だけれども、純粋な襲撃者としては不自然なので意味はありそう。
それが傍から見ると敵対行動に見えるだけ、もありうる? - 登場メンバーの数や状況がループごとに変わっていくのはなんなんだ
今のところは純粋に増えているだけ。
その内特定メンバーだけいない、も起きそうな雰囲気。
ゲーム的な意味ではメンバー増とシステム解禁を段階的に行っているようには見えるけど、似た状況の並行世界、あるいはメンバーを入れ替えた何らかのシミュレーション実験に巻き込まれている、という風にも捉えられそう。
どちらの場合でも次に気になってくるのは「ループを終わらせる条件は?」というところになってくるか。
ゲーム開始時のパラメータ振りとかもシミュレーションかも、思わせる一因。
etc...
登場メンバーの背景も遊んでいく内に解禁されていくっぽいので、もうちょっと進んで区切りのようなものが付いたらまた改めて感想記事を書いてみたいですね。ゆくゆくはグノーシア側もやるのかな。そちら側はちょっと苦手です。
とりあえず「グノーシア」についてはそんなところ。
タイトルにも付けた苦手意識については続きの方で。。。
■対人戦よりCPU戦が好き
こんな考え方の人は他にもいるのではないか、と思うのですが、私も昔からそうというわけではなくいつの間にかそうなっていました。
より正確に言うのであればある程度親しい関係でない相手と対人戦をやるよりもCPU戦の方が気楽に感じる、という感じ。知っている人相手であればそこまで嫌というわけでもないのがなんとも。
学生の頃はオンライン対戦がまだ一般的ではなく友人とのローカル対戦が主だったこともあり、マリオカートだとかスマブラだとかゴールデンアイだとか、対人戦が盛り上がるゲームを遊ぶことに抵抗はありませんでした(このラインナップが直撃な世代の人は握手!)。
それと同じくらい一人プレイのゲームも好きだったので、そこの間に違いみたいなものは特に感じていなかったのを覚えています。
けれども段々と顔の見えないどこかのプレイヤーとの対戦や協力プレイなんていうのが一般的なことになっていくに連れ、画面の向こう側にいる知らない人に対して意識が向いてしまうことを回避したい、と感じることが増えてきました。
不思議なことにボイスチャットとかを使っていない、コミュニケーション無しのその場限りの対戦とかであっても、知らない誰かと遊ぶというだけでちょっとした面倒くささのようなものがわいてきてしまう。
おそらく見知らぬ誰か相手での対戦、ということになってくると、勝ち負けの結果をそのまま受け取るしかなく、別の要素として処理しにくいからなのかな、と最近は考えたりしています。
私は勝ち負けの結果そのものにはあまりこだわりがないので、そこまでの過程が面白かったり楽しかったりすればぶっちゃけどちらであってもいいんですが、知っている誰か相手でないとその辺を消化(昇華)しにくい感じ。
そんなこともあって今まで興味はあるけど自分ではできずに人がやっているのを見て楽しむだけ、になっていたのがいわゆる人狼系のゲームです。
自分が学生の頃には既に流行し始めていたジャンルではあるんですが、その時はまだアナログゲーム自体に関心がある人が周辺に少なかったのもあり、実際に遊んだのもおそらく数回程度。
その後様々な人狼ライクなゲームがアナログ・デジタル問わずに登場しましたが、有名どころだとAmong Usなんかは一度も遊んだことはなく、配信者の人たちが遊んでいるのを見て楽しむだけという感じでしたね。
なので今回グノーシアというタイトルを通して久々に人狼というゲームに触れているわけです。システムや各キャラの性格が定まっている中で動く分には何の気苦労もないのでとても楽しい。多分ゲームを通しての体験、経験を味わう時にそれ以外のコストがかかってしまうのを無意識に回避したがってしまってるのかなあとしみじみ。
とはいえゲームを通した対人コミュニケーションをそんな風に捉えてしまっているのもどうしたものか、とこの記事を書きながらつい考えてしまうのでした。