こぼれ茶葉拾い

本とかゲームとか諸々の備忘録

書けていなかったゲーム感想をいくつか

■最近遊んだゲームあれこれ

以前↑の記事でも触れたのですが、まだ感想を書けてなかったゲームが結構できてしまったので今回はその辺の感想をまとめて書いておこうかなと。
タイトルとしては以下の通り。基本的にSwitch版でのプレイでした。
※感想にはそこそこふわっとしたネタバレを含みます。
 画像も1~2枚だけ貼るので、嫌な方は薄目で流し見してください。

■お品書き

 

■グノーシア

プレイ中に書き留めてた疑問点は上みたいな感じ。
ホントは新たに出てきた疑問点や印象をもう少し細かく書き残しながら遊びたかったんだけどそこは時間が取り切れず断念。なんなら書き留められてた20ループ目でもまだまだ前半戦でしかなかった!というのがこのゲームの良いところでもあり難しいところでもありましたね。

 

いわゆる人狼系のゲームでありつつ、SF的な作品世界を舞台にしたループもの、というのがこのタイトルだったわけですが、その目的の1つとして「ループの謎を解き明かすこと」がありました。ループというギミックそのものの謎というよりも、なぜループが始まったのか、そしてそのループをどう終わらせるのかの部分がメインでしたね。

物語の中盤辺りでようやくループの謎と、それを終えるために必要な条件が大まかながら見えてくるようになっていて、端的に言ってしまえば「作中で開示されるメンバーの情報を探り切ること」がその「鍵」となっていることが明らかになります。

『銀の鍵』がクトゥルフ関係のワードだと気付いたのはプレイ後でした

作中に登場してくる多数のキャラクターには様々な設定・背景が存在していて、けれども「プレイヤー」にはそれが明らかになっていない状態からスタートするので、「人狼」ゲームの枠組みの中で彼らと疑い合いながら接していくことになる。

けれども繰り返し会話や議論を続けていく内にキャラクターごとの行動や言動がどのような経験・思想に基づいて行われているのかが、時にコミカルで、時にバイオレンスなイベントを通して分かっていくというのが、「人狼」というゲームを繰り返し遊び続ける中での1つのスパイスとして効果的に働いていたなという印象でした。

何かを知りたくなる、という欲求そのものが「グノーシア」という物語を駆動させるエンジンになっているという構成。

とはいえ終盤はイベントを見るため、という目的の方が先に立ってしまって、人狼そのものを楽しめてたかというとかなり微妙なのが、このゲームの「惜しいな」と感じる部分でもあります(人狼そのものが好きなわけでは無いという自分みたいなタイプならではな感覚かも)。
動機づけの比重が、自分の場合は作品理解の方に傾きがちなこともあり、人狼パート自体をある種の作業として捉えてしまうことも多かったですね。

キャラクターの背景が分かれば分かるほど、イベントの中で描かれているような「議論ではない会話」をもっと見ていられたら、と思ってしまうことも多く、作品世界・設定の数々が魅力的であるだけになんとも惜しい気持ちになってしまうのでした。
非常事態でなかったら彼らはどんな生活を送っていたんだろうか、とか、どんな風に思い出を語ってくれるのだろうか、とか色々と考えてしまう。情報が開示されるイベントではその一端を垣間見ることができるからこそ、それをもっと見ていたいと思わされてしまう。

ループもので描かれる一瞬の安息でしんどい(心が)

そうした作品世界全体に流れる歴史や背景に混ぜ込まれたSF・グノーシス要素も勿論刺さりまくっていたのですが、加えて作品自体にメタ構造が組み込まれた物語となっている点に気付かされる構成なのも自分のツボにハマった部分だった気がしています。
ループとメタ構造大好きマンなので。
自分の「選択」や「行動」に意味があると思わせてくれる作品大好きマンなので。

ちなみに最後までプレイして好きだなあと思ったキャラはラキオ。
やはり自身の欲望やあり方に自覚的なタイプというのは、その時々の振る舞いの是非はともかくとして見ていて気持ちいいので好きです。セツは明確にヒロイン(というのが適切かは置いておく)として描写されているので、今回は除外ということで。
自分はどうにも「友達と思ってもらえるかは自信がないけど友達になってみたい」と感じてしまうような、存在の強度を見せつけてくるキャラクターが刺さるらしい。SQとかジョナスとかもそういう意味では好きなんだけど色々怖さも感じるので除外。

ひとまず最後までやってみて、プレイ前よりもアニメ版のグノーシアが楽しみになってきました。ストーリー構成をどのように組み立ててくるのかも気になりますが、なによりゲームでは省かれてしまう議論の合間に存在するキャラクターたちの会話の様子もきっと描かれるのでは?と思っているので、その辺りがどうなるのかを楽しみにしつつ10月を待とうと思います。

 

■ファミレスを享受せよ

ふいに迷い込んでしまった永遠のファミレスを舞台にした探索型ADVゲーム、というなんとも言えない空気感を漂わせているタイトル。
元々はフリーゲームだったそうですが存在を認識したときには各種プラットフォームで配信されていたので、以降マイニンテンドーストアのほしいものリストとSteamのウィッシュリストに突っ込んだままにして忘れていました。

そんなある時、ようやく色んなゲームの区切りがついて「さて次は何をしようか?」という時に「そういえばこれがあったな」と手を出したが最後、独特の空気感に包まれるファミレス内での「雑談」にすっかり浸ってしまいました。

ADVとしてはごくごくシンプルで、各所を調べたり各人と話をしたりしてフラグを立てることで先に進めるゲーム。もっとも移動できる場所はファミレス店内に限られているし、それぞれの絵面だってほとんど変わることがなく、できることというのは「雑談」ばかり(けど話題はめっちゃ沢山出てくる!)。

「話すことがない」なんて話題を選べるゲームって中々ない

その場にいる面々も様々な事情があってファミレスにいるのですが、各々が脱出できないファミレスの中での永遠を過ごすことに慣れきってしまっています。その姿勢に初めは面食らってしまうというのに、それが次第に心地よくなってくるのがなんとも不思議な感覚でした。
ただそれというのも、誰もが主人公と会話ができるだけの自意識を保ち続けていてくれているからこその心地よさだったんじゃないかとプレイし終えてからは感じています。

もしも急に自身がこのファミレスに迷い込んでしまったらどうなるだろう?

プレイした人ならおそらく1度くらいはそんなことも考えてみるのではと思うのですがどうでしょう。
自分の場合、もし他に誰もいない状態、もしくは誰も意思疎通が取れなくなってしまった状態でこのムーンパレスに取り残されてしまったら、果てのない無限の時間に絶望してしまうんじゃないかと思います。そしてあらゆることに意味を見いだせなくなって、諦めて眠り続けようと決め込むんじゃないかなーとか考えてしまいました。
誰かしらが話し相手になっていてくれる内はある程度耐えられるのかもしれないんだけれども、そんなことを無邪気に考えるよりも先に、ここに1人残されたらと考えた時の恐怖感の方が勝ってしまう。

作中ではしれっと途方もない時間が経過する描写があるのですが、その間も他のキャラ達はめいめいに生き続けていてこちらと会話ができる状態で在り続けてくれる。それがどれだけ心強かったことか。。。

「他愛もない」を味わうしかない心地よさ

生きるということはどこかしらに向かって何かしらの変化を続けることだ、と自分は思っています。
目的を自覚しているかはその時々によって異なると思いますが、目的というのは始点と終点を定めることができる(限りを設けられる)場合に成り立つものではないでしょうか。
永遠のファミレスの中でも◯◯をしてみよう、という行為は行えるわけですが、それを無限の時間の中に広げてしまうと何を為したともいえない、無意味さだけが残るところまで薄まってしまうような気がしています。目的自体から意味が蒸発していってしまうような感じ。
それはただ存在しているというだけで、生きているということになるんだろうか?とあのファミレス空間では思ってしまう気がしました(ファミレス内では死ぬことも出来ないのだけど、そもそも生きていないから、という風にも思えてしまう)。

作中でも明かされる通りあのファミレスの「永遠」とは、無限とも思える途方もない長さの時間があるだけで、実際には有限であるということは示されています。ただそれを有限だと認識し、目的に意味をもたせ続けるには常人の意識では耐えられないんじゃないかなあと感じてしまうわけで。
なので主人公がとある作業に没頭し続け、それを成し遂げた時に意識が溶けかけていた描写があったのは、まあ当然だろうと思いつつも、まだ意識が残ってたのかとちょっとした恐怖も覚えたりしました。そんな状態から日常に帰れるんだろうか?みたいな。

そんなあれこれを考えながら永遠のファミレスでの時間を過ごす中で、自分たちの時間は有限だからこそ些細な変化に味わいを感じたり、何でもない会話に意味を見出すことができてるんだろうなあと、ジワーッと感じさせてくる不思議なタイトルでした。有限の世界にいられて良かった……!

ちなみにこの作品で一番好きだったのはセロニカ。王様とかとの会話の空気感も心地よかったんですが、なんというか一番「普通」というか、本当に他愛のない雑談をしてくれる相手だったのが好印象でした。あいつがいてくれたらムーンパレスに迷い込んだとしても意識をしばらくは保ち続けたままいられそう……かもしれない。

 

■未解決事件は終わらせないといけないから

変わった謎解きゲーをしてみたいんだよなあ、と思ったときに目に止まったタイトルだったのを覚えています。確か初めて目にしたのはどこかのタイミングのニンテンドーダイレクトだったはず。

お話のボリューム自体はそれほど多くはないのですが、中編くらいの推理小説を時系列や話者が混線してしまった状態から解きほぐしていくというパズル的な要素も持ち合わせたミステリー作品になっていたのでやりごたえ自体は結構あった印象です。
落ち着いたBGMの中で少しずつ明かされていく情報を繋ぎ合わせていく作業は、本を読んでいる時に浮かんだ情景を頭の中で結びつける様子に形を与えるとこんな感じになるのかな、という感覚がありました。

タイムラインを組み直して本来の姿を取り戻していく

お話自体に目新しさはあまりなかった印象です(といってもどこで見た・読んだことがある話と似ているかは思い出せない。ただ既視感は少しある感じ)。
けれどもある事件を複数の視点から供述していると思しき内容が、さも当然かのように誤った時系列、誤った話者の言葉としてSNSのタイムラインのように並んでいて、それぞれに繋がりがあるように見えてくる。

もちろん大人と子供の供述の違いだったり、近親者と第三者での距離感の違いだったり、分かりやすい取っ掛かりは用意されているので、まずはそこから整理を始めていくと次第に複雑な謎の部分のヒントも集まっていって最後にはスッキリ謎が解けるようになっているんですよね。
思考ロックに陥るとうまくヒントを拾えなかったりもしますし、時間を置いてしまうことで個々のお話の繋がりを忘れてしまうなんてこともありうるので、2時間程度で一気にクリアできるボリュームに抑えてあったのはすごく良かったです。

ちなみに唯一の難点というかこれは選んだハードを誤ったなと思ったのが、タイムライン上の移動の不便さ。Switch版だと選択移動やカーソル移動がそれほど素早くできないので、組み替えるピースが増えた終盤は結構操作が大変でした(せめて俯瞰的なズームアウト機能が欲しかった!)。ここはSteam版とかの方がやりやすかったかもしれません。

一冊の本を集中して読み終えた時のような読後感

初めて見た時から「中々挑戦的なスタイルの作品だなあ」という印象だったのですが、遊び終えてからもその印象は変わらず。他のシナリオでもこのようなスタイルのものを作ろうと思えば作れるのかもしれませんが、おそらくこのスタイルを最も味わうことができるのは最初に触れた一作品だけなんじゃないかな、と思うような一回性を持ったゲーム体験でした。

もし2~3時間ほどまとまった時間が取れて、何か一本推理小説を読む代わりにゲームを遊んでみようという気持ちになったのであればオススメしたいタイトルです。ただこのタイトルが面白く感じられたとしても類似の作品は中々出てこないと思うよ、としか言えないのがなんとももどかしいところ。

 

■7 Days to End with You

この作品も唯一無二の物語体験だったかも。そういう意味では「未解決~」に近しい体験をさせてくれるタイトルだった印象です。

記憶を失った状態で目を覚ました主人公が、付き添ってくれる女性と7日間の時を過ごす中で自身の置かれている境遇や、自身の身の回りにある認識できない言語を獲得していくある種の謎解きゲーム。

なんとなく意味を当てはめてみるしかない手探り感

相手が何かを伝えようと話してくれているのは表情や語調から分かるのですが、そこに表示される文章は見たこともない謎の文字が使われた単語で構成されていて、初めは全く意思の疎通が取れないところから話が始まります。
けれども「未解決~」の時と同じく、こういう意味なんだろうな、というのが掴みやすい箇所は確かにあるのでそこを上手く推測しながら単語帳に意味を置いていってみると、なんとなくどういうことを話そうとしてくれているのかが段々と見えてくる。

見えてはくる……のだけどほとんど意味を掴みきれないまま、7日目を迎えてしまった時に訪れる物語の展開はなんともいえないやりきれなさが残る結末でした。
どうにかこの終わり方に自分なりの「意味」を見出してやることはできないか、と思わされてしまうような感じの。

1回目はほとんど言葉を理解してあげられなかった

当てはめた単語の意味は新たに7日間を始めた時にも失われないので、何度も同じ7日間を過ごしていく中で少しずつ「言葉」に自分なりの意味を当てはめていくことになるのが、謎解きやパズルゲームのような感覚でもありつつ、1つの小さな作品世界を探索する冒険のようでもありました。

繰り返し7日間の探索を続けていく中で個々の単語がどういう場面、どういう意図で使われていそうかの共通点を見つけ出していき、おそらくこうだろう、と意味を当てはめることができる自分の中でのルールが見えてきた時の達成感は中々のものでした(なお1度ちゃんとしたEDを迎えられた後にはED・イベント回収のために攻略Wikiの単語表を見てしまった模様。そんなに色々用意されていたのか……!)。

合っているかではなく、どう受け取ったか

結局のところ作品冒頭に出てくる以下の文章。
これがこの作品のテーマを表すのと同時に、我々が「言葉」を用いて世界や物語の形を認識しているんだということを示していたように思えました。

貴方はこの物語の観測者です
貴方は言葉の意味を、自由に感じ取ることが出来ます
二人の関係は貴方が感じた言葉によって構成されます
二人の世界は、貴方の理解によって変化します
平凡で短い物語かもしれないし、奇妙で長い物語になるかもしれません
貴方は、二人のうちの一人となってこの物語に干渉します
そして、この物語は、貴方の干渉と解釈で完成されます
貴方が感じ、受け取った全ての物語は、全て正しいでしょう
これは、たった7日間の短くて長い物語です

目の前に確かな世界が存在しているように思えたとしても、それをどのように感じ取るのかはその時その瞬間に我々が獲得している「言葉」の「意味」でしか言い表せない。
自分が見出した「意味」も繰り返し世界と接していく内に変化していくし、その度に見えている世界そのものが変わっていく、というのをゲーム作品を通して表現しようとするとこういう形になる、と1つの答えを出されたような印象でした。
これも最初の1度だけ味わえる物語体験でしたね。こういうゲームがあるからインディーズのタイトルって面白い。

 

ちなみにここまで何作品かの感想を色々書き綴ってみましたが、この行為もそれぞれの作品世界を自分という存在がどのように受け取ったかを意味づけする試みなんですよね。内省して自分の中に象られた世界の形を再出力する行為。

自分を含め、誰しもその世界が持ちうる形や意味を「知りたい」と思うからこそ、物語がある作品にのめり込むし、他の人の目に映った世界の別の形も見てみたくなる。そういう意味で、同じく感想に飢えているどこかの誰かのために今後も感想は書いていきたいところです。

この場合の「どこかの誰か」には数年後、数十年後の自分自身も含まれています。実況動画の合間に備忘録動画をあげていたのも、結局のところその瞬間の世界の形を残しておきたかったからなんだろうなあ。